そのまんま東へ-FUNKY MONKEY BABYS
<東国原宮崎県知事>徴兵制発言を謝罪 「不適切だった」
宮崎県の東国原英夫知事は4日、「徴兵制はあってしかるべきだ」などとする自身の発言について「不適切だった。今後は発言に気を付けたい」と述べた。同日、社民党の県議団が抗議したことに謝罪した。知事は先月28日、宮崎市内であった建設業者との座談会で徴兵制について発言した。技術者を養成する全寮制の県立施設について話題が及び「徴兵制があってしかるべき。若者が1年か2年自衛隊に入ってもいいのではないか」と述べた。また、今月2日には、同市内であった講演会で「徴農制によって、若者に農業の大切さを体験させるのはどうか」と語った。社民党県議らの抗議に対し、知事は「道徳観の崩壊を心配しての発言」と釈明。そのうえで「例えとしては飛躍しすぎで、不適切でした」と謝罪した。
抗議した社民党の県議の中で、「韓国の男性は徴兵制のお陰で、男らしくてたくましいわぁ!」なんて嬉しそうに発言してるヤツはいないだろうなw
たけし軍団で徹底した上下関係や、芸能界流礼儀作法を叩き込まれた、そのまんま東(個人)としての意見だったんだろうが、未だに社民党ごときに詰め寄られて謝罪するなんて情けなや。
靖国神社の閉門直前での参拝とか、どうも本人の信念と、左巻き世論への配慮の加減がコントロール出来てない印象がある。石原さんくらいに開き直られれば良いんだろうけどw
彼が感じている憤懣は世の中の大抵の人は感じていて、オレの周囲でも「自分たちの世代と比しても(今の若いヤツは)酷い」という意見が大半だ。若いヤツは大昔から、その未熟ぶりを上の世代から叩かれるものだが、ちょい昔の「しらけ世代」や「新人類」とは異なる荒廃ぶりな気がする。
過度の個人主義に任せて放任した結果がコレならば、公の機関で教育するしかない。
なぜなら超個人主義の若者の子供は、高確率で同様に育ち、この負の連鎖を断ち切るのは現代社会のシステムでは容易では無いからだ。世の中は、脳内お花畑の人たちが考えている以上に冷酷に出来ている。「自分大好き族」に水準以上の給料を払う奇特な企業は、ほぼ存在しない。
なので人様以上の生活をしようと思えば、芸能関係かスポーツ関係、アウトローな方面へ進むしかないだろうが、実力勝負の世界、当然成功者は一握りのみ。夢敗れて落伍してきた人たちを救う、社会的セーフティネットである生活保護も、すでに破綻状態で、減額になるのも時間の問題。年金を払ってきた老人達を優先するからだ。
何かの本で読んだが、能力以外で他人に認められようとすれば、「かわいげ」が必要だという。
「愛嬌」とかいうものだが、これは生まれついてのもので、一つの才能(能力)といえるだろう。
オレみたいに「かわいげ」に無縁な男はどうすれば良いかと言うと、「誠実(律儀)」であれ、というのだ。「謙虚」も含むんだろう。これなら後天的な努力で身に付く。
だが、喫煙禁止の場所でタバコを吹かし、車内から吸い殻やゴミをポイ捨てし、電車内で誰はばかる事無く携帯電話で話し、飲食し、座り込む人間たちに「謙虚さ」を、身につけさせるのは容易では無く、AC公共広告機構がいくら頑張ってモラル向上CMを流しても、大きな効果は上がっていない。
世界に誇る日本人最大の美徳である「謙虚」が失われつつある訳で、危機感を持つ人は多い。
ならばどうするか?の選択肢の一つとして、自衛隊入隊はあって良いと思う。
だが現実問題として、「徴兵」にしろ「徴農」にしろ、システムとして機能するにはそれなりの時間(金)がかかるし、現職自衛官や農家の人にとっては、「そんな甘いもんじゃねーよ!」って事だろう。
発言の背景にある本質に目を向けずに、相変わらずの「言葉狩り」にはうんざりなんだけど、KYな社民党はこの手の発言に噛みつくことが、自らの存在意義だからなぁw
ちなみに物議を醸した元発言は以下。
「個人的な意見」と断るのは意味無いね。それを判断するのは本人以外だから。
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<東国原知事>「徴兵制あってしかるべき」
宮崎県の東国原英夫知事は28日夜、宮崎市内であった若手建設業者との座談会で「徴兵制があってしかるべき」と発言した。座談会後、知事は発言について「若者にはある時期、規律を重んじる機関で教育することが重要だと思っている。道徳や倫理観が今の規律の喪失につながっている」と述べた。この会合は、県内のさまざまな業種の人たちと知事が意見を交換する「県民ブレーン座談会」。この日は11回目で、建設業界の12人が出席した。建設技術者を養成する全寮制の県立施設の話題が出た際、知事は「個人的な意見」と断ったうえで「徴兵制があってしかるべき。若者が1年か2年くらい自衛隊に入ってもいいのではないか」と述べた。
ここまで書いて言うのもなんだけど、問題が多いのは「若者」だけじゃない。
車内暴力事件などは、中高年の割合が多いという記事も見たし。
オレも含めて「1億総自己中時代」到来かも。今話題の医師不足も、数字だけ見ると、昔よりも医師数は増え、子どもや妊婦は減っている。それなのに小児科医や産科医が激務なのは、「患者の客としての権利意識」「医者の個人としての権利意識」が高くなってきた事による、と読売新聞の識者のコラムで読んだ。確かにその通りで、それは医療の世界だけの事ではないという事だろう。